思い出の寝台列車シリーズ「はやぶさ・富士」編 その3は、「撮影編」としてお送りします。
「あけぼの」編とは逆で、さすがに乗車が何度もあった訳では無い「はやぶさ・富士」ですが、
乗車時間が長かったので乗車の撮れ高はある程度ありましたので、「さよなら寝台特急はやぶさ・富士号の旅」編で記事が多数残っていますので、そちらをご覧下さい(^^;)
今回は乗車撮影シーンを補完する形で「撮影編」です。「はやぶさ・富士」メインですが東海道線ブルトレを全般的に扱っていきます。
なお、「はやぶさ・富士」編は今回で最終回とします。
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ohanefuは東海道線沿線住人では無いのですが、それに近い位置に住んでいるので物心ついてカメラを持つようになってからは普段から東海道線の列車を撮影していました。それだけに最盛期の東京発着ブルートレインは本数も多かったので格好の撮影被写体でしたね。
まずは真鶴にて。「はやぶさ・富士」は上り東京着が9:58ごろと、「あけぼの」の時と比べてそれほど早起きしなくても撮れるのが良かったです。

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ということで、比較的撮影しやすい「上り」が撮影メインでした。
もうこの撮影も出来ませんが、東海道線・根府川にて。
白糸川橋梁が赤色だった頃です。「はやぶさ」も単独運転でした。

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続いて、「富士」。ちょうど「はやぶさ」と「富士」が10分後に続行で上って来るダイヤ(1999年12月4日改正まで)、実際は「富士」が先に来て「はやぶさ」が後でした。

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1985年(昭和60年)3月までは、EF65-1000いわゆるPF形が牽引していました。このときの白糸川橋梁は灰色です。

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今回初めて登場!(^^;)「あさかぜ」です。ブルートレインの元祖とも言える列車です。このときは早起きしたのか、夜出て夜明けをここで迎えたのか、そんな感じだったのでしょう。(記憶にございません(^^;)

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そして、再び赤い白糸川橋梁時代になりますが、この頃の「あさかぜ」は1・4号が客車がJR東日本所属車両で、各所リニューアルされて金帯を巻いてました。これが「北斗星」へと続いていったのかもしれません。

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っと?!またも関係ない感じで唐突に登場しましたが、EF200です。これも東海道線ブルトレを撮影するのに貨物列車も夜間帯に前座役としてよく走っていました。この機関車は色々あって不運な運命を辿ってしまいましたね。

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ということでココは先の根府川より少し東京方になります、米神踏切にて。
ヘッドマークがありません。客車の回送でもありません。これは急行「銀河」。東京-大阪間を走っていました。
この頃の撮影機材性能を考えて「銀河」の走りを撮影するとならば、夏至の朝で天気が良くないと出来ません。
撮影データはISO400で1/500sec 絞りf4 時間は5:34でした。
ちなみに前のEF200はISO400で1/320sec 絞りf4 時間は5:17です。

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ちょっとレア画像を。今となっては貴重な急行「銀河」20系寝台客車で運転していた頃。
1976年(昭和51年)2月20日ダイヤ改正から約9年余りの間、20系客車で運転していました。1985年(昭和60年)3月14日ダイヤ改正で20系客車から14系客車に置き換え、1986年(昭和61年)11月1日ダイヤ改正により14系客車から24系25形客車に置き換えられるという、最初は10系寝台で登場したので、結構な出世列車でしたね。
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こちらも隠れたレアキャラ?客車「出雲」。サンライズ出雲と、客車編成が同時代の頃もありました。「瀬戸」はサンライズ化されて客車「出雲」2・3号がサンライズ出雲として電車運転し、
この客車「出雲」は1・4号だったものが単独「出雲」として運転していました。その後、平成18(2006)年3月18日のダイヤ改正で廃止されました。
編成両数こそ少ないですが金帯「あさかぜ」と同じく所属区が尾久客車区だったようでリニューアル車両が多く使用されていました。

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さて、そんな東海道線ブルトレも「はやぶさ・富士」を残すのみとなった頃、頻繁に撮影に出来かける事がありまして、先に述べたとおり時間帯も良かったので朝、早起きして静岡県内の方まで行ったこともありました。
こちら、有名撮影地として名高い三島~函南間・竹倉踏切にて。バックには薄っすく富士山も・・・(;´Д`)
このとき、撮影し終わって画像を見て分かったのですが、EF66 53号機の左のライトが外れかかっています。
走行中に鳥か何かが衝突してライトケースが落ちてしまったのでしょうか。。。幸い、ライト本体は割れていないようで灯火として照らされていましたが。

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EF65 1107号機が牽引する「はやぶさ・富士」

これは2008年12月12日の上り「はやぶさ・富士」から話は始まります。
その日(12月12日)下関からの上り牽引機はEF66 46でしたが途中に鹿と衝突。遅延はあったものの、そのまま東京へ到着。折り返し(12月13日)牽引予定のEF66-46に何らかの不具合(上りで鹿の衝突が原因か?!)が生じ、急遽田端のEF65 1107牽引にて下り「はやぶさ・富士」に充当されました。しかもヘッドマークを付けて下って行ったのでした。
そのEF65 1107は東京へ翌々日(12月15日)の上りで戻ってくるとのことで・・・
12月15日の東海道線沿線はかなりのパニックとなっていました。
そんなパニックを承知で有名撮影地である竹倉踏切へ。前日の22時ぐらいに行って三脚を設置後、クルマの中で待機していました。
このときには既にお祭り状態。夜の竹倉踏切は暗闇に多数の同業者が居ました。実はこのとき雨が降っており、これは何処でも良いかと思っていましたが、やはり「はやぶさ・富士」には富士山が見える所で・・・と、竹倉踏切を狙って現地入りして晴れるのを待っていました。
そして夜が明けて雨は止み霧が晴れ、富士山が綺麗に見えるようになって、本当にEF65 1107が牽引する「はやぶさ・富士」が来たときにはEF58 61お召し以来の緊張感が・・・(((( ;゚д゚)))
通過後は、これまた万歳三唱の渦に包まれておりました。

 過去にもEF66故障でEF65-1000の牽引は何度かあったようですが突発的なのでヘッドマークを付けない場面が多く、この貴重なシーンは今でも思い出として残っています。
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富士山バックからアップで(^^;)
雨が上がって朝日に輝く「はやぶさ・富士」のヘッドマークが誇らしい。このデザインのヘッドマークを取り付けたPF形は営業運転で初めてだったと記憶しております。

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所変わって、こちらもプチ有名な興津―由比間のSカーブ。このときは「はやぶさ・富士」が遅れていて、通常ではカブりは無い場所でしたが
遅れ「はやぶさ・富士」がSカーブの向こうから現れて来た時に、背後から下りの特急「ふじかわ」2号が迫ってきました。
最悪、カブってしまっても仕方ないですが、相手が特急「ふじかわ」だったというのが何とも・・・。
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本当はSカーブ全体に編成すべてが入る構図だったのですが、こうなっては、もうお手上げです(>_<)
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しかも並行する国道1号線を走るコンテナを積んだトラックにも(@_@)
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「ふじかわ」が写っている所にも、まだ「はやぶさ・富士」の最後尾が居るはず。。。
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こんな感じで、振り返って失意の後打ち。。。あぁ、早起きしてここまで来たのに。。。
そんな日を別な視点で記事にしている、たむ道楽バージョンもあります(´。`)

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前座には、こんな列車も来ました。今は色を変えて富士山の麓で走っていますね。
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ちょほいと、寄り道(´。`) 東海道線ブルトレ・アラカルト
「はやぶさ・富士」の相棒が「さくら・はやぶさ」だった頃。個人的にこのヘッドマークはイマイチでしたねぇ。色が薄くて映えませんでした。

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個人的に「みずほ」も機関車バージョンのヘッドマークは色が薄くて、逆に華やかな色合いの「さくら」の陰に隠れて忘れがちな印象でした(^^;)

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さらに、九州の「さくら」は葉桜マーク。今では大井川鐵道のSLで見ることが出来ます。

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DD51の「出雲」時代。奥に見える381系「やくも」も、どちらも原色。う~ん、国鉄時代を彷彿とさせますね。

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東京駅にブルートレインが走っていた頃・・・。よく見かける日常だった頃・・・。こんなに誰も見向きもしなかった東京駅・・・。
これ下りの発車ですよ。田町に回送じゃないんですよ。ホームに誰も居ないんです。こんな時もあったのですねぇ~。
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東海道線ブルトレよ、ありがとう!
夕方、何本も夜行列車が出て行く光景は、東海道本線でなければ見られなかったと思います。
これもひとつの歴史を感じます。そんな歴史が動いた頃を見届けられて良かったです(⌒-⌒)

以上、思い出の寝台列車シリーズ「はやぶさ・富士」編 最終回 その3でした。