前回は深名線の朱鞠内を中心にお伝えしましたが、
今回は深名線の想い出ということで、やっていきたいと思います。

初めて訪れたのは90年3月、その2年後には毎年1回は深名線を含む
北海道へ乗り鉄旅をしていた事もあり、北斗星で札幌入りし、
深川から深名線へと乗り鉄旅が自分の中での定番ルートでした(^^;)
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その中で北母子里という駅で降り立った際に、1枚撮ったこのカットがお気に入り。
1992年3月の深名線の一コマです。

ブルーモーメントと、たまたま低速シャッター開放中に列車が発車し始めた時を捉えています。
車体からの灯りで雪の反射と尾灯の赤が良い感じで、これを収めただけでも深名線の想い出として強く残っています。

外はマイナス20℃近くの極寒。それを列車旅で、しかも朱鞠内から名寄行きの最終列車。
これを途中駅の北母子里で降りてしまって、この後どうするのかと・・・(´。`)
実は、この駅近くに小さな宿があり、そこへ宿泊するという行程でしたので下車出来たのが縁の始まりでしたが。。。
現在は深名線の廃止と共に沿線の更なる過疎化で宿も有りません。

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宿に泊まった翌朝、再び旅を続けるため北母子里駅へ。
名寄行きの2番列車が北母子里駅へ進入するところを一枚。
7時台の一番列車が通ってからレールが隠れてしまっています。
実は、この朝には気温がマイナス20℃以下になり、ダイヤモンドダストが見えました。
写真に残せなかったのが残念でしたが、初めて目にした空気中に輝くダイヤモンドダストに言葉が無かったのが印象として残っています。

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その前の、少し引いた画。
ネガからのスキャンなので画質が悪いですが、敢えてその硬調な感じが写真っぽく無いところがエモいw
前日の夜に訪れた北母子里駅は、朝になって初めて周囲には防風柵と林しか無かった事が判りました。
しかしまぁ、なぜ、こんな所に駅があるのか・・・(*_*)
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キハ53-500の車窓から見る深名線。
ちょうど朝の低い光線が射し込みます。暖かそうに見えますが、
外はマイナス20℃以下になっていて、列車が蹴散らす雪煙を巻き上げながら名寄へと進みます。

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所変わって、ここは深川駅4番ホーム。
函館本線のホームから少し離れた位置に深名線乗り場がありました。
通常は1両しか停まらないのでホームに「1」と黄色い線が描かれていますが、移動式の停止目標もありました。
これから4時間以上乗り続ける1両編成のキハ。よろしく頼みますよ(^^;)

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深名線の深川では朝の列車時間帯が終わると、午後の朱鞠内行き(名寄行きへ直通)までは車庫で休んでいます。
14時前にキハ53-500が車庫から出てきて、入れ換えしてホームへ据え付けられます。
1両とは言え、急行色は貫禄有ります。おっ、今日は若番の502だな(^^;)

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両運転台のキハ53-500は本当によく出来ていて、デッキも付いてボックスシートも有ってトイレもありますので長距離も安心w

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さて、深名線が廃止となる95年の夏。大騒ぎになる前の7月に惜別で訪れました。
この頃の北海道は蝦夷梅雨とも言われ、実はあまり天気が良くない日が多いです。
ご多分に漏れず天気はイマイチ。しかも肌寒い日でした。
北母子里の朱鞠内寄りに「白樺」という駅がありましたが、廃駅となって、その跡地へ入ってみました。
以前は駅だった事を感じさせる、冬期間を考慮した高い標識や少しカーブを描いてホームに入る線形の名残も見えます。
周りには何も無い林。ここは全て北海道大学の演習林だそうです。
深名線に沿って細いダート道がありましたが、普段は人が入るような場所ではありません。
何しろこの場所で当時の携帯電波など入るわけも無く、当然ながら熊の出没も大いにある場所です(*_*)
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1両のキハ53-500には窓が多少開いていて、廃止前に乗車している姿も多く見られました。
遠くから見えて、ゆっくりと走って来たキハ53-500は、1両で駆け抜けて行きました。
これが、自分が最後に見た深名線のキハ53-500になりました。

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朱鞠内駅で佇むキハ53-500
カラカラカラカラ~・・・とエンジンのアイドル音が山に響き、乗客を誘います。
北海道には、こんなのんびりとしたローカル線がたくさん有ったのですけど、
ローカル線はおろか、今では北海道の鉄道自体が衰退を辿っていますね。

キハ53-500
1両で走る深名線は、雪の寒い日も夏の暑い日も頼もしかったのです。
キハ53-500
私の中での名車でした(^^;) たくさんの想い出をありがとう!

以上、深名線の想い出でした

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