深名線は北海道の名寄と深川を結ぶ路線で、私が初めて訪れたのは1990年の3月。
北海道周遊券を片手に、この当時の北海道内をほぼ全線乗りつぶして廻った時でした。
まだ雪深い北海道の中でもこの周辺は豪雪地帯で、深名線の乗車はそれを楽しみに乗りに行った路線の一つ。
その中で、朱鞠内(しゅまりない)という駅があり、深名線はダイヤ上ではこの駅を境界として運行系統が分断されるようになっていましたが
実際には列番が変わっても車両は同じまま段落ちして時間調整のあと、通しで名寄・深川へ向かう列車もありました。
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そのために、朱鞠内で長時間停車する事が多く、色々と列車や駅周辺を観察することが出来ました。

深名線 Wikiより
深名線(しんめいせん)は、かつて北海道旅客鉄道(JR北海道)/日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線(地方交通線)である。
北海道深川市にある深川駅で函館本線から分岐し、雨竜郡幌加内町を経て名寄市にある名寄駅で宗谷本線に接続していた。
営業係数は常にワースト10に入るという大赤字の路線で、赤字83線や特定地方交通線の廃止論議にもその都度候補にあげられていた。
並行道路の未整備を理由に廃止保留となったが、国鉄分割民営化後に並行道路の整備が進んだことから、1995年(平成7年)9月4日に廃止された。

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深名線で使用されていた車両はキハ53-500が主に使用されていて、
見た目は全国各地で見られた急行形気動車のキハ58と同じですが
北海道仕様のキハ56が種車で、元の車体から運転台と反対の連結面側を切断し、
廃車になったキハ56・27形から切断・流用した運転台を接合し両運転台化したもの。
急行形なのに1両で走れる姿は何とも逞しく、全線で100km以上もある豪雪の深名線を
キハ53のボックスシートに揺られながら乗り鉄した思い出は強く残っています。

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深川(14:11発)から来た朱鞠内行き(左)は、このまま列変して直通し、名寄行きとなり、
名寄(16:00発)から来た(この時はキハ54)の深川行き(右)は、
どちらも朱鞠内(名寄行き17:22発・深川行き17:12発)で交換していました。
深川から来た列車は、名寄から来る列車を待つため、ここで1時間近く停車して交換待ちをしていました。
ご覧の通り、この日はレールが埋まってしまうほどの降雪でした。

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実質、この区間(深川-朱鞠内・朱鞠内-名寄)で1閉塞のようなものでした(他に幌加内で交換可能)
そのため、朱鞠内では列車本数も1日に上下で3本しかありませんでした。
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この時には、DE15のラッセル列車も出動し、北海道のラッセルを初めて目にすることも出来ました。
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さきほどのDE15ラッセルは、発車するのかと思ったら暫く進んで停止。
朱鞠内の構内通路を塞がないように移動したようでした。
DE15 2521は旭川運転所に配属されている車両で、深名線無き後は宗谷本線のラッセル運用で今も活躍しているようです。
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朱鞠内駅の駅舎はこんな感じでした。この時は94年3月に訪れた際に撮影。
例の如く、深川から乗車して名寄行きに列変し、名寄から来る深川行きの交換待ちで駅前に出てきた時の写真。
この時は雪が少なく、山の木々にも着雪が無かったので暖冬だったのでしょうね。
広角なのと、夕陽の斜光線で自分も写っています。
「冬こそJR」のノボリ旗が懐かしい(^^;)
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そのままホームに行ってみると、やはり線路にも雪が少ない。
最初の90年に訪れた時も同じ3月でしたが、94年の3月は春の気配でした。
西日が射し込んでキハ53の車内はポカポカだったと記憶しています。

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横サボを見ると、「朱鞠内-名寄」となっています。
この列車は前述のとおり深川から来て朱鞠内で列変し、名寄行きとなりました。
サボの通りダイヤ的には朱鞠内始発の名寄行きなのですが、深川では「深川-朱鞠内」でやって来て、サボを変えた事が判ります。
実際は「深川-朱鞠内」のサボを裏返すと「朱鞠内-名寄」になるようになっていました(^^;)

こんな作業も季節を問わず手を抜かずに黙々と行われていた朱鞠内駅の駅係員さんに感謝!
当然、上下交換でタブレット交換もしっかりと行われていましたよ。

キハ53同士が並ぶのも通常ダイヤでは朱鞠内だけです。
深名線は、キハ53と雪が似合っていました。