やぁやぁ(´。`)
今回は2006年10月のお話。
さらに追いますっ!
さて、出区を撮ったら、普通は本線での走り・・・に、なるのでしょうけど、我々はもう次!ってなりました。
唐突に下仁田!上信電鉄!ということでした(^^;)
下仁田と言えば、ネギ。ここは昭和の雰囲気のままでした。
何やらテムなる貨車が。
ここで一気に本編の第二夜・第三夜を飛ばし、ohanefuのカメラデータには翌朝の第四夜からの画像しか残っていませんでした(^^;)
ということで、翌日の朝からスタート!
翌日は湯田中へ抜けました。
さて、ここで本編では第五夜となります。
以前は2面2線の終端駅だったようですが、なにぶん初めての訪問でして・・・(^^;)
このエリアはその方面に詳しい、たむサンに連れられての導きとなります。
さらに須坂へ。ここは長野電鉄の車庫があります。っと、その前に壮観な並びを。
まだ長電オリジナルの特急が居ました。東急田園都市線と営団日比谷線も居ます(^_-)
さて、振り返ると、そこに小田急10000系が!
このとき、まだ営業運転に入る前の長電仕様になったばかりのHiSEが調整中でした。
これも、今回の目的のひとつでした。
この並び。もう時代を越えてます。
車庫内では、もう一本のHiSEが整備中。しかも塗装が小田急時代のまま。
個人的には長電の同じ赤色でのカラーリングが鮮やかで綺麗に見えて良い印象です。
連接車のまま短編成にするのですが、長電では今まで無かったでしょうから整備も大変でしょうね。
さきほどからチラっと見えていた機関車は昭和2年製。
さてさて、駆け足で廻って、お次は第六夜になります。上田電鉄です。
このとき、「上田交通」じゃないの?と思ってましたが口に出すことが出来ず、たむサンに全て乗っかって望んだ次第で(^^;)
って思ってましたが、新生「上田電鉄」になってるのは私だったようで、
旧態「上田交通」は、たむサンの認識だったのでした。記憶の認識は怖いです(^^;)
沿線は秋真っ盛り!ってな感じで、稲穂が揺れます。
「その者青き衣をまといて金色の野に降り立つべし」
少し青が濃すぎたか・・・。ナウシカは現れません(^^;)
さすれば、逆光は勝利!迎え追いか!?ダイヤモンドカットをギラリと賞味♪
最終夜 別イメージw
さて、上田電鉄の走りを賞味した後は、下之郷の車庫へ。
ここに無塗装の7200系が居るというので確認しに行くと・・・居ました!東急時代に復刻したという事でしたが、それってただの手抜き!?と思ったのは私だけ!?
こちらも秋満開!
ここでハッキリ見えました(^^;)
なるほど、上田交通は上田電鉄として発足して1年という事だったのですね。
その辺りも詳しくたむサン処で解説してますので、上田電鉄関連記事をご参照下さい。
という事で、また次なる目的地へ向かいます。
ここは長野計器株式会社電子機器工場。
何処をどう走って行ったのか・・・それはたむサンに聞いてくれw
今ではナビが有ればたどり着くでしょう。
当時は、かなり右往左往して着いた印象が・・・(;^^)ヘ..
車体に夕陽が当たり、鈍い光を放っておりました。
古豪の貫禄・・・と言いますでしょうか、かなりの存在感でした。
このリベット感が時代を感じます。
そして、最後は秋空を感じながら、帰路に就くのでした。
以上、関東甲信越はどぅでしょう ~ohanefu まとめエディション~
第一夜から最終夜まで、一気ご紹介しました(^^;)
それにしても、秩父鉄道→上信電鉄→長野電鉄→上田電鉄という流れ、なかなかのものです( ̄▽ ̄;)
さてさて今回の旅は いつもながらのご存知たむサンとの珍道中でございますw
という感じで、どうやら、先発でわたくしもその当時のブログでご紹介していたようです。
ということで、今回ohanefuからは その道中をまとめエディションとして一気にご紹介します(^^;)
内輪ネタの詳細につきましては↑のリンクをご覧頂き、その当時の雰囲気をお楽しみ下さいまし。
まずは第一夜にあたる秩父鉄道からスタート(^_-)
広瀬川原の車庫へ向かいました。
この当時はまだ三田線wが健在。しかし廃車になっている編成も既にあったようです。
まだ出庫前の朝。静けさの中での機関車。
本線に目をやると前パン国鉄101系が爆走。これ2006年ですよ、21世紀ですよ。
さて、庫のシャッターが開かれ、いよいよ主役のお出まし。火も入ってウォーミングアップを始めました。
圧も高まり、その時を待ちます。
っと、ちょっと放置・・・(´。`)
再び出区前点検作業。
さすれば、こちらではこの時の常套手段?!広角アオりで待ち受けます。
連写でローアングルを
という感じで、どうやら、先発でわたくしもその当時のブログでご紹介していたようです。
しかし、当時のohanefuブログは閉鎖されて、そのリンクが空しく切れていた状態で申し訳ないm(_ _)m
後発のたむさんは受け入れ体制万全です。↓
後発のたむさんは受け入れ体制万全です。↓
内輪ネタの詳細につきましては↑のリンクをご覧頂き、その当時の雰囲気をお楽しみ下さいまし。
まずは第一夜にあたる秩父鉄道からスタート(^_-)
広瀬川原の車庫へ向かいました。
この当時はまだ三田線wが健在。しかし廃車になっている編成も既にあったようです。
まだ出庫前の朝。静けさの中での機関車。
本線に目をやると前パン国鉄101系が爆走。これ2006年ですよ、21世紀ですよ。
さて、庫のシャッターが開かれ、いよいよ主役のお出まし。火も入ってウォーミングアップを始めました。
圧も高まり、その時を待ちます。
っと、ちょっと放置・・・(´。`)
再び出区前点検作業。
さすれば、こちらではこの時の常套手段?!広角アオりで待ち受けます。
連写でローアングルを
さらに追いますっ!
さて、出区を撮ったら、普通は本線での走り・・・に、なるのでしょうけど、我々はもう次!ってなりました。
唐突に下仁田!上信電鉄!ということでした(^^;)
下仁田と言えば、ネギ。ここは昭和の雰囲気のままでした。
何やらテムなる貨車が。
ここで一気に本編の第二夜・第三夜を飛ばし、ohanefuのカメラデータには翌朝の第四夜からの画像しか残っていませんでした(^^;)
ということで、翌日の朝からスタート!
翌日は湯田中へ抜けました。
さて、ここで本編では第五夜となります。
以前は2面2線の終端駅だったようですが、なにぶん初めての訪問でして・・・(^^;)
このエリアはその方面に詳しい、たむサンに連れられての導きとなります。
さらに須坂へ。ここは長野電鉄の車庫があります。っと、その前に壮観な並びを。
まだ長電オリジナルの特急が居ました。東急田園都市線と営団日比谷線も居ます(^_-)
さて、振り返ると、そこに小田急10000系が!
このとき、まだ営業運転に入る前の長電仕様になったばかりのHiSEが調整中でした。
これも、今回の目的のひとつでした。
この並び。もう時代を越えてます。
車庫内では、もう一本のHiSEが整備中。しかも塗装が小田急時代のまま。
個人的には長電の同じ赤色でのカラーリングが鮮やかで綺麗に見えて良い印象です。
連接車のまま短編成にするのですが、長電では今まで無かったでしょうから整備も大変でしょうね。
さきほどからチラっと見えていた機関車は昭和2年製。
さてさて、駆け足で廻って、お次は第六夜になります。上田電鉄です。
このとき、「上田交通」じゃないの?と思ってましたが口に出すことが出来ず、たむサンに全て乗っかって望んだ次第で(^^;)
って思ってましたが、新生「上田電鉄」になってるのは私だったようで、
旧態「上田交通」は、たむサンの認識だったのでした。記憶の認識は怖いです(^^;)
沿線は秋真っ盛り!ってな感じで、稲穂が揺れます。
「その者青き衣をまといて金色の野に降り立つべし」
少し青が濃すぎたか・・・。ナウシカは現れません(^^;)
さすれば、逆光は勝利!迎え追いか!?ダイヤモンドカットをギラリと賞味♪
最終夜 別イメージw
さて、上田電鉄の走りを賞味した後は、下之郷の車庫へ。
ここに無塗装の7200系が居るというので確認しに行くと・・・居ました!東急時代に復刻したという事でしたが、それってただの手抜き!?と思ったのは私だけ!?
こちらも秋満開!
ここでハッキリ見えました(^^;)
なるほど、上田交通は上田電鉄として発足して1年という事だったのですね。
その辺りも詳しくたむサン処で解説してますので、上田電鉄関連記事をご参照下さい。
という事で、また次なる目的地へ向かいます。
ここは長野計器株式会社電子機器工場。
何処をどう走って行ったのか・・・それはたむサンに聞いてくれw
今ではナビが有ればたどり着くでしょう。
当時は、かなり右往左往して着いた印象が・・・(;^^)ヘ..
車体に夕陽が当たり、鈍い光を放っておりました。
古豪の貫禄・・・と言いますでしょうか、かなりの存在感でした。
このリベット感が時代を感じます。
そして、最後は秋空を感じながら、帰路に就くのでした。
以上、関東甲信越はどぅでしょう ~ohanefu まとめエディション~
第一夜から最終夜まで、一気ご紹介しました(^^;)
それにしても、秩父鉄道→上信電鉄→長野電鉄→上田電鉄という流れ、なかなかのものです( ̄▽ ̄;)
ブログ記事にどの見出し画像を使うか悩みます。
上田電鉄は2019年10月の台風19号の被害で千曲川が氾濫し、千曲川に掛かる鉄橋が流されてしまいました。今後の動向が気になります。
上田電鉄は2019年10月の台風19号の被害で千曲川が氾濫し、千曲川に掛かる鉄橋が流されてしまいました。今後の動向が気になります。
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