今回は思い出の寝台列車シリーズ エトセトラ編としてお送りします。
今までご紹介出来なかった列車や、単独カテゴリとしては画像が少なく記事としてのボリュームが無いものなど、今までに画像を選出していたときに選外となってしまったものなどを救済していきます(^^;)
まずは最北端から参りましょう。DD51牽引の急行「利尻」です。この列車は寝台列車かと言うと寝台専用編成では無いのですが14系座席車と寝台車が組み込まれていた列車でした。
現在は、このときの稚内駅の面影もありません(´。`)
札幌から旭川まではED76-500が担当していました。
札幌に電気機関車が居たなんて、今ではあり得ませんねぇ。。。
分かりにくいですが、急行「大雪」。こちらは今も列車名は残っていますが、区間は札幌-網走で「利尻」と同じく14系座席車と寝台車の混合編成でした。
他に急行「まりも」という名で札幌-釧路間を運転していた列車もあり、それぞれ札幌から稚内・網走・釧路へと3列車が運転されていて、22時の札幌駅は夜行列車で賑わっていました。
しかも急行でしたので、周遊券で自由席乗り放題ということで北海道で「宿」代わりに利用する旅行者が多かったです。
平成2年のお話でした。
続いて、急行「おが」です。臨時運転では20系客車で運転されていました。
20系寝台の寝台車内。3段寝台で上中下と並んでいます。見た目はーテンが2層になって2段しか見えませんが、廊下の天井のレベルで実はもう1段、上段の寝台が存在します。大宮辺りで誰も居なかったら自分の寝る寝台を下段にして荷物棚などに中段・上段すべて使ってしまっても良かったりしました(^^;)
しかし、何気に上段の方が寝台特有の屋根構造で頭上が広く使えたので、上段で寝て中段・下段に荷物を置いてカーテンを閉めていたohanefuでした(^^;)
「あけぼの」編のときに選外だったEF65-1000のいわゆる「PFあけぼの」です。
やはりこっちの方が馴染むなぁ・・・と思った方は、昭和です(´。`)
上野口の機関車は、いつ見ても汚れていたイメージがあります。
こちらは「あけぼの」最終形態の前身とも言える、寝台特急「出羽」です。ローズピンクの素っ気ないEF81が懐かしい。
ローズピンクのEF81と言えば、こちらも欠かせません。「日本海」です。基本的に大阪-青森間の運転ですが、最盛期は函館まで運転されていた事もありました。
廃止間際ではトワイライトエクスプレス色の、いわゆるトワ釜EF81も充当される事がありました。
これは敦賀機関区所属のEF81が使用されていた事から、運用の都合で「日本海」にも入っていました。
関東人には見慣れない、「日本海」テールマーク。。。
廃止間際では客車はJR東日本・青森車両センター所属の24系客車が使用されていて、機関車だけJR西日本のEF81が青森までスルー運転していました。
寝台は左右に通路が中央にある、「プルマン」式と呼ばれるスタイル。電車寝台サンライズエクスプレス285系や583系寝台もこのスタイル。
大阪は17:47発車と、こちらも大都市から発車にしては、なかなかの時間帯でした。
「はやぶさ・富士」でご紹介出来なかった「ロビーカー」の外観。よく見ると乗降ドアは有りません。
東京12番ホームが在来線だった頃。
ちなみに、こちらも「ロビーカー」です。1990年より「あさかぜ2・3号」・「瀬戸」にとして連結されていました。
オハ12形を種車としているので、客車の屋根が平屋根です。
パンタグラフを搭載して、この車両からSIVを通して電源供給をしていました。通常は電源車カニ24はディーゼル発電による電源供給ですが、「あさかぜ」・「瀬戸」の運転区間全線が直流電化だったためにSIVで実現したもの。
そのスハ25-300車内の様子。ロビーカーと簡易的な売店があり、軽食も販売していました。画像で分かるとおり、「あさかぜ」・「瀬戸」はスーツ姿のサラリーマンが多く利用していたことが分かります。
運行区間も現在のサンライズエクスプレスとほぼ同様ですので、当然と言えば当然でしょうかね。
ところ変わって、こちらは博多駅。急行「日南」西鹿児島行き。
九州でも北海道と同じく島内完結の夜行列車が運転されていて、門司港発鹿児島本線経由・西鹿児島行きの「かいもん」と日豊本線線経由・西鹿児島行きの「日南」がありました。
こちらは12系座席車と24系25形寝台車が使用されていました。
九州の「みずほ」はヘッドマークの色合いが関東バージョン?というか直流機関車バージョンと違う感じでした。
唐突に飛びます(^^;)が、こちらトワイライトエクスプレスのサロンカー「サロン・デュ・ノール」
窓が大きく、のちのトワイライトエクスプレス瑞風にも受け継がれています。
「サロン・デュ・ノール」の車内。日本海に沈む夕陽はこの大きな窓から眺めるというコンセプトであるので、やはり壮観です。
実は、乗ったことあります(^^;)
トワイライトエクスプレスのA寝台個室スイート。
しかし展望スイートではなくて2号車の中間に設定された増備形のスイートです。
このときは、1人用個室ロイヤルに乗っていましたが、発車後に2号車のスイートが空室で、
車掌さんに車内で乗変を申し出たらマルス指令に連絡してくれてスイートを確保してくれたので変更して乗ってしまいました(^^;)
ほんとうは、こちらのスイートにも乗ってみたかったのですが、カシオペア展望スイートには乗ったの事があるので、ま、良いかな・・・と(^^;)
大阪は12:00に発車しますが、札幌も14時過ぎの発車という、寝台列車とは思えない時間帯設定でしたね。
やはり「サロン・デュ・ノール」の窓は大きい(@_@)
番外編ですが、こちらも寝台。。。
富士急行線、下吉田駅構内にあるスハネフ14 20です。富士急だけに「富士」推しです。
ただ、スハネフ14 20が「富士」で使用されていたことはありませんでした。
富士山と「富士」
現在では、このような保存車という形で全国に寝台客車が存在しています。
しかも実際に車内に入れたり、さらには宿泊施設として本当に寝台で泊まれる所もあります。
このネタをコンプリートすると、エラいことになりますので現時点では各自ネットで調べて下さいませ~( ´_ゝ`)
以上、思い出の寝台列車シリーズ エトセトラ編でした。
今までご紹介出来なかった列車や、単独カテゴリとしては画像が少なく記事としてのボリュームが無いものなど、今までに画像を選出していたときに選外となってしまったものなどを救済していきます(^^;)
まずは最北端から参りましょう。DD51牽引の急行「利尻」です。この列車は寝台列車かと言うと寝台専用編成では無いのですが14系座席車と寝台車が組み込まれていた列車でした。
現在は、このときの稚内駅の面影もありません(´。`)
札幌から旭川まではED76-500が担当していました。
札幌に電気機関車が居たなんて、今ではあり得ませんねぇ。。。
分かりにくいですが、急行「大雪」。こちらは今も列車名は残っていますが、区間は札幌-網走で「利尻」と同じく14系座席車と寝台車の混合編成でした。
他に急行「まりも」という名で札幌-釧路間を運転していた列車もあり、それぞれ札幌から稚内・網走・釧路へと3列車が運転されていて、22時の札幌駅は夜行列車で賑わっていました。
しかも急行でしたので、周遊券で自由席乗り放題ということで北海道で「宿」代わりに利用する旅行者が多かったです。
平成2年のお話でした。
続いて、急行「おが」です。臨時運転では20系客車で運転されていました。
20系寝台の寝台車内。3段寝台で上中下と並んでいます。見た目はーテンが2層になって2段しか見えませんが、廊下の天井のレベルで実はもう1段、上段の寝台が存在します。大宮辺りで誰も居なかったら自分の寝る寝台を下段にして荷物棚などに中段・上段すべて使ってしまっても良かったりしました(^^;)
しかし、何気に上段の方が寝台特有の屋根構造で頭上が広く使えたので、上段で寝て中段・下段に荷物を置いてカーテンを閉めていたohanefuでした(^^;)
「あけぼの」編のときに選外だったEF65-1000のいわゆる「PFあけぼの」です。
やはりこっちの方が馴染むなぁ・・・と思った方は、昭和です(´。`)
上野口の機関車は、いつ見ても汚れていたイメージがあります。
こちらは「あけぼの」最終形態の前身とも言える、寝台特急「出羽」です。ローズピンクの素っ気ないEF81が懐かしい。
ローズピンクのEF81と言えば、こちらも欠かせません。「日本海」です。基本的に大阪-青森間の運転ですが、最盛期は函館まで運転されていた事もありました。
廃止間際ではトワイライトエクスプレス色の、いわゆるトワ釜EF81も充当される事がありました。
これは敦賀機関区所属のEF81が使用されていた事から、運用の都合で「日本海」にも入っていました。
関東人には見慣れない、「日本海」テールマーク。。。
廃止間際では客車はJR東日本・青森車両センター所属の24系客車が使用されていて、機関車だけJR西日本のEF81が青森までスルー運転していました。
寝台は左右に通路が中央にある、「プルマン」式と呼ばれるスタイル。電車寝台サンライズエクスプレス285系や583系寝台もこのスタイル。
大阪は17:47発車と、こちらも大都市から発車にしては、なかなかの時間帯でした。
「はやぶさ・富士」でご紹介出来なかった「ロビーカー」の外観。よく見ると乗降ドアは有りません。
東京12番ホームが在来線だった頃。
ちなみに、こちらも「ロビーカー」です。1990年より「あさかぜ2・3号」・「瀬戸」にとして連結されていました。
オハ12形を種車としているので、客車の屋根が平屋根です。
パンタグラフを搭載して、この車両からSIVを通して電源供給をしていました。通常は電源車カニ24はディーゼル発電による電源供給ですが、「あさかぜ」・「瀬戸」の運転区間全線が直流電化だったためにSIVで実現したもの。
そのスハ25-300車内の様子。ロビーカーと簡易的な売店があり、軽食も販売していました。画像で分かるとおり、「あさかぜ」・「瀬戸」はスーツ姿のサラリーマンが多く利用していたことが分かります。
運行区間も現在のサンライズエクスプレスとほぼ同様ですので、当然と言えば当然でしょうかね。
ところ変わって、こちらは博多駅。急行「日南」西鹿児島行き。
九州でも北海道と同じく島内完結の夜行列車が運転されていて、門司港発鹿児島本線経由・西鹿児島行きの「かいもん」と日豊本線線経由・西鹿児島行きの「日南」がありました。
こちらは12系座席車と24系25形寝台車が使用されていました。
九州の「みずほ」はヘッドマークの色合いが関東バージョン?というか直流機関車バージョンと違う感じでした。
唐突に飛びます(^^;)が、こちらトワイライトエクスプレスのサロンカー「サロン・デュ・ノール」
窓が大きく、のちのトワイライトエクスプレス瑞風にも受け継がれています。
「サロン・デュ・ノール」の車内。日本海に沈む夕陽はこの大きな窓から眺めるというコンセプトであるので、やはり壮観です。
実は、乗ったことあります(^^;)
トワイライトエクスプレスのA寝台個室スイート。
しかし展望スイートではなくて2号車の中間に設定された増備形のスイートです。
このときは、1人用個室ロイヤルに乗っていましたが、発車後に2号車のスイートが空室で、
車掌さんに車内で乗変を申し出たらマルス指令に連絡してくれてスイートを確保してくれたので変更して乗ってしまいました(^^;)
ほんとうは、こちらのスイートにも乗ってみたかったのですが、カシオペア展望スイートには乗ったの事があるので、ま、良いかな・・・と(^^;)
大阪は12:00に発車しますが、札幌も14時過ぎの発車という、寝台列車とは思えない時間帯設定でしたね。
やはり「サロン・デュ・ノール」の窓は大きい(@_@)
番外編ですが、こちらも寝台。。。
富士急行線、下吉田駅構内にあるスハネフ14 20です。富士急だけに「富士」推しです。
ただ、スハネフ14 20が「富士」で使用されていたことはありませんでした。
富士山と「富士」
現在では、このような保存車という形で全国に寝台客車が存在しています。
しかも実際に車内に入れたり、さらには宿泊施設として本当に寝台で泊まれる所もあります。
このネタをコンプリートすると、エラいことになりますので現時点では各自ネットで調べて下さいませ~( ´_ゝ`)
以上、思い出の寝台列車シリーズ エトセトラ編でした。
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